江戸庶民の住居

「江戸庶民の住居」

江戸庶民のほとんどは借家住まいでした。大工、棒手振、職人は落語や時代劇でお馴染みの裏長屋で暮らしていました。
表通りの裏路地をはさんで建てられていたので裏長屋、又は棟割長屋とも呼ばれていました。俗に「九尺二間の裏長屋」一番安い長屋です。
長屋の入口には木戸があり路地の両側に大概一棟六軒向合わせに建っています。その中央あたりに共同の井戸がありそこからの水はけのどぶがあり、木の板で蓋がしてあります。

一住まい三坪二合五勺、今でいう六畳一間に土間と水瓶、竈(へっつい)がありますから
実質四畳半と言う所でしょうか。

家賃は文化、文政の頃で月五百文(約15000円)

江戸の市街地は、どの町でも地主(家持町人)が各町の町政が負担することになっていました。表通りで商売をしている者もほとんどが貸家です。
地主は建物を建てて貸しているのです。各町内ごとに門があるのですから、町内意識が高かった訳です。

地主は町全体を他の町より、清潔で犯罪の無いように気を配る事が一番大切だと考えています。
町政のトップですので多忙です、人を雇い入れて町役を務めさせます、
これが落語の登場人物、「大家さん」です。

江戸時代は安政(1854年)頃まで土地でお金を儲ける様な考え方もないし、実際貸家で商売になるのは安政以降の話です。
表通りの裏が空地ですと、盗賊や流れ者が住み着いたりして不用心なので、安普請で裏長屋を建て、町役に入居する人物を吟味させ住まわせます。

「大家と言えば親も同然店子と言えば子も同然」というのはこのようなシステムから起こる事。
実際大家は町内全てに目をくばり、店子は何をするにも大家さんに報告義務がありました。当然頭もあがりません。
しかし、大家さんも雇われですし、裏長屋の家賃など入らずとも別段困りません、秩序として家賃があるような態ですから、落語に出てくるような

「大家に呼ばれたが、家賃の事だろ。おれは四っも溜めてる、おめえは?」
「七つだ」「七月たぁ溜めたな~」「いや~七年だ」「おめえは?」「家賃てなんだ?」

等と言う噺が出来たりするのです。

江戸幕府は徳川家を盟主とした大名連合体制です。
平和な国作りの為に多少不自由があっても戦国時代の内戦で国中がボロボロになった日本と言う国を建てなおす為、非常によく考えられた社会システムです。
幕府は人員の足りない部分を民間に委ねることで官民一緒になり国作り、町作りをしたのです。
各町内ごとに木戸があり町内が小政府の様に機能していました。
よたろうさんや親が亡くなったり、病気で働けない人の子供達も町内みなで面倒を見ます。
でもただお金をあげる様なことではなくその子にできる仕事を教えてやらせ、自立できる様面倒をみます。
子供は小川へ行きシジミを取り町内で売ります、もちろん売れ残る事はありません。
誰でもとれるシジミですが大人は決して採りません、町内の子供から買ってあげます。
そして10才位になると奉公先を探して巣立たせてあげるのです。

落語でもよたろうさんは道具屋になったり飴売りになったり、町内で自立できる様面倒をみる噺がたくさんありますが、この様な人々の心根があればこそです。

昨今、世界の歴史上類を見ない平和社会。
江戸期の社会システム、価値観に西欧諸国の知識人達から熱い視線が送られているというのもうなずけます。

上は将軍様から町役まで何も無い湿地に江戸という新しい平和都市を創ろうと言う気風が感じられませんか。

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