若旦那の勘当

落語「唐茄子屋政談」「紙屑や」「湯屋番」などに登場する若旦那。
いずれも大店の若旦那が遊びが過ぎて勘当という憂き目にあい、居候をしている状況を描いた噺です。

写真の浮世絵のイメージ。

落語「唐茄子屋政談」の登場人物、大店の若旦那が遊びが過ぎて家を勘当

され「お天道様と米の飯は付いて回る」と啖呵を切って飛び出しますが、

当然そのような事にはならず、世をはかなんで、大川に飛び込もうとするのを偶然とおりかかった親戚の叔父さんに助けられ、叔母さんが甘やかそうとするも「人間の了見をなおす機会はそうあるものじゃない、口をだすな」といなし、若旦那に唐茄子や(かぼちゃ屋)の棒手振りをやらせる。

若旦那は世間を知らないだけで、心根が腐っているわけではないということが分る物語になっています。是非聞いてみてください。
江戸時代後期、大店の若旦那は跡継ぎにもかかわわらず、遊び呆けていると、親類が集まり説教、注意をする、それでも生活を改めないと勘当ということになる。
江戸時代はすべて連帯責任、各町内、各家とそれぞれが不都合を解決しなければならない人や社会のせいにする事の出来ない、大人社会です。
家族、親類に迷惑が及ばぬ様に、勘当という制度がありました。
勘当は二通りありました。
完全に縁を切る「久離」(きゅうり)は町奉行所に届けを出して受理されると、人別帳(今の戸籍謄本)からはずされる。その人が何をしようと連帯責任を逃れることができる制度。
そうはいっても、金持ちのボンボンで吉原にいりびたる様な若旦那は、性根を入れ替えさせる、浮世を渡る大変さを体験させる為、懲らしめるための勘当として、
親類一同で決める「内証勘当」がある。落語に出てくる勘当はほぼこの「内証勘当」です。
お金を持たず、家を出された若旦那は町内の頭や御店の出入り職人、親類の家などに居候をし、様々な仕事を手伝わされます。箸より重い物を持ったことがない様な人が庶民の生活体験を通して、改心すると家に戻ることができます。唐茄子屋政談などは「内証勘当」の噺としてはとてもよく出来た噺だと思います。
その様な教訓から、今でも続くような大店は若い頃から他の大店に出され、奉公させたようです。いつの時代も子供を甘やかし、いつまでも子ども扱いをしていると、
子供の成長の為にはあまり良くないようです。親にはいつまでも危なっかしく、辛い思い話させたくない。という思いがどうしてもありますからね。かわいい子には旅をさせよ、ですね。

Follow me!